歴史とロマンの町 大野町へ行こう!

セントレアのちょっと北「愛知県常滑市大野町」のまちおこしブログ

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織田信孝の密葬先は、大野・海音寺

信長の三男・織田信孝は、天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで敗れると、知多半島の野間大御堂寺の持蓮坊に幽閉され、まもなくそこで自害します。
信孝の家臣・太田牛一は密かに大野の海音寺で信孝の葬儀を営みました。
信孝像を彫り生前の信孝を偲びましたが、信孝像は火災で焼失、現在は位牌のみが残っています。
太田牛一は文才に長け、後に織田信長一代記「信長公記」を著した人物です。

kaionji1_20090913065704.jpg
海音寺:常滑市大野町3ー11tel 0569-42-0838

信孝の辞世の句は有名です。
「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
意味は、こちらで

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コメント


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こんにちは☆

知多半島は歴史の宝庫ですね!
そういえば信孝も野間で切腹してますねー
信孝の辞世の句は、そのまま受け取れば「主筋の人間を死に追いやる家臣は報いを受けるだろう」と言っているように見えます。
しかし、信孝がしたことといえば、自らが織田家の当主に座るために柴田勝家と同調したこと自体が墓穴を掘ったものだと思います。
いわば自業自得の部分もあるのではないでしょうか。
源義朝が騙されて最後を遂げた場所であることに例えて詠んだものと思いますが、信孝の場合は根本的に違うように思えてしまいます。

marihime | URL | 2009年09月13日(Sun)12:10 [EDIT]


Re: タイトルなし

> 源義朝が騙されて最後を遂げた場所であることに例えて詠んだものと思いますが、信孝の場合は根本的に違うように思えてしまいます。

なるほど、言われてみると微妙に違う。
marihimeさん、よく考えていらっしゃいますね。
でも、あの辞世の句は信孝の無念さがよく表現されてますね。

joyataro | URL | 2009年09月14日(Mon)06:19 [EDIT]


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