
十四世紀の中頃、一色氏が、青海山に大野城を築き、大野湊を中心に伊勢湾の海運を手中におさめ、知多半島の実権を掌握してました。そんな中で、近江国甲賀郡佐治郷の甲賀武士・佐治一族の中の佐治備中守が、一色氏の重臣に迎えられました。やがて、一色氏に仕えた駿河守宗貞は、主家の内訌をついて勢力を拡大、ついには一色氏を逐って大野城主となりました。
そして、駿河守宗貞のあと、上野守為貞(為景とも)、八郎信方(為興とも)、与九郎一成と四代続きました。
佐治氏は緒川城の水野氏と知多半島を二分するほどの勢力を持ち、大野衆と呼ばれる佐治水軍の将として伊勢湾全域の海上交通を掌握しました。
以前にもお話しましたが、四代目与九郎一成の、母は信長の妹「お犬」、正室は信長の妹「小市」の三女「小江」。佐治氏は信長に重用されていたことがこのことでわかります。しかし、本能寺の変で信長の死後、小牧・長久手合戦においては信雄・家康方についたため、秀吉の怒りを買い、戦後、小江と離縁させられ、さらに所領没収のうえ追放処分となりました。(この頃、秀吉の理不尽ともいえる甲賀破議によって、甲賀武士たちも没落の憂き目となり、甲賀佐治城も落城・没落しました)
ちなみに、大野鍛冶のルーツも近江から来た職人が始まりだそうです。

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