
十四世紀の中頃、一色氏が、青海山に大野城を築き、大野湊を中心に伊勢湾の海運を手中におさめ、知多半島の実権を掌握してました。そんな中で、近江国甲賀郡佐治郷の甲賀武士・佐治一族の中の佐治備中守が、一色氏の重臣に迎えられました。やがて、一色氏に仕えた駿河守宗貞は、主家の内訌をついて勢力を拡大、ついには一色氏を逐って大野城主となりました。
そして、駿河守宗貞のあと、上野守為貞(為景とも)、八郎信方(為興とも)、与九郎一成と四代続きました。
佐治氏は緒川城の水野氏と知多半島を二分するほどの勢力を持ち、大野衆と呼ばれる佐治水軍の将として伊勢湾全域の海上交通を掌握しました。
以前にもお話しましたが、四代目与九郎一成の、母は信長の妹「お犬」、正室は信長の妹「小市」の三女「小江」。佐治氏は信長に重用されていたことがこのことでわかります。しかし、本能寺の変で信長の死後、
ちなみに、大野鍛冶のルーツも近江から来た職人が始まりだそうです。

![]() | 甲賀武士と甲賀・知多大野の佐治一族 長坂 益雄 (2005/04) ブイツーソリューション この商品の詳細を見る |
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山頂の石垣および堀が良く残り、山麓部にも内堀および外堀の一部が残る。建造物としては、不明門が市内中丁真乗寺山門として、鳩門の一階部が光明寺山門として、それぞれ移築され現存する。また、8代利忠の隠居所が柳廼社社務所として移築現存する。・飛騨 高山城・福岡県で
城とかいろいろ 2007年07月19日(Thu) 05:31
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