歴史とロマンの町 大野町へ行こう!

セントレアのちょっと北「愛知県常滑市大野町」のまちおこしブログ

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大野の「大政」を追え! 14

仮説・次郎長と大政との出会い  4

zenpachi1.jpgその夕方、次郎長一行は芸者置屋に立ち寄る。
芸者置屋とは芸者が待機しているところだ。仕事をしてない時は芸事の練習や作法の勉強をしている。
当時の大野は芸者の町としても有名で、芸者置屋が10軒ほどあった。
芸者を呼ぶ時は、宿屋を通して頼むか、直接芸者置屋に行って好みの芸者を指名してから一緒に宿屋に行くかどちらかだ。次郎長の場合お目当ての芸者がいたから、後者を選んだ。
「いらっしゃい」
「女将、久し振りだな。俺のこと覚えているかい?」
「覚えてますよ。清水の次郎長さんでしょ。お父上の三右衛門さんにお顔がそっくりだもの」
次郎長は薪炭を商う「薪三(まきさん)」の船持船頭三右衛門の次男として生まれる。
だが、生まれてすぐ母方の叔父、甲田屋(米穀商)次郎八の養子にだされたのだ。
その三右衛門が商いで大野に来る度に、偶然だが、ここの芸者置屋の芸者と遊んでいたらしい。
「よせやい。俺は養子に出された身だ。父上はやめてくれよ」
「あら、ごめんなさい」
「お凛さんはいねえのかい」
「それが、お凛は心臓の病に侵されて、半年位前からお店休んでいるんですよ」
「そうかい。武一さんにぜひ大野一の三味線を聴いてもらおうと思ったがそりゃ残念だ。
じゃあ、上方訛りのお優さんはあいてるかい」
「次郎長さんは目が肥えてますねえ。いい子ばかり指名して。お優は生憎今晩は予定が入っています。明日なら空いてますが」
「武一さん、芸者は明日にして、今日は賭場に行きやせんか」
「うむ」
「女将、明日お優さん頼むぜ。宿は前に行ったことのある・・・」
「にしまさ屋ですね。私が予約いれときます。時間は今頃でよろしいですね。線香代も前と同じで」
線香代とは芸者代のことで、線香に火を点けて消えるまでの時間が大体芸者と遊ぶ時間と同じだということでそう呼ばれていた。
「ところで、お凛さん大丈夫かい。身寄りはちゃんといるのかい?」
「お凛は妾なんで、15になる息子と二人暮らしだよ。それがね。その息子とっても親孝行でね」
「ほお」
「母親のために高価な心臓の薬を買おうとして、寝食を忘れて昼夜働いているんだよ。船荷をしたり、行商をしたり。最近では相撲をとって賞金を稼ごうとしているらしいよ」
「妾なら旦那がいねえのかい」
「それがね、旦那さんは廻船問屋やってるんですけど、この間船が沈没して大損害。商売は火の車。それでも援助しようとしたんだけど、父親を思って息子が断ったんですよ」
「立派な息子じゃねえか。ひょっとしてその息子の名は熊蔵ていわねえか?」
「あら、よく御存知で」
「たまたま今日昼間相撲観てて、目についたんだよ」

その後、次郎長一行は賭場へ行く。
「武一さん、道中話したこと、まちがわないでくださいね」
「うむ」
次郎長は武一に勝たせるための合図を教えてた。
賭場の玄関をくぐる。
「おい、遊ばしてくれ」
客の中に力士らしい男が二人いる。
一人は久六。もう一人はなんと熊蔵だった。
(つづく)

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盆踊りコンテスト

bonodori1.jpg

bonodori2.jpg

その昔、大野海岸で盆踊りコンテストが行なわれていました。
色々趣向を凝らし仮装して、楽しそうですね。
この年の優勝は「大漁唄い込み」の大野青年団。
昭和35年頃の写真です。

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江戸時代の大野地図の原図

kyohooonomap1.jpg
西之口・西用寺の堀田住職より頂きました。
大野の石井善八邸からお借りしカラーコピーしたもの。
大きさはA0サイズくらいあります。
当ブログに何回も紹介しているゼンリンのような江戸時代の大野地図は、
この原図を元に、住職が20年位前に現代の文字に書き直したものです。

下の文字は、この地図を八つ折にした裏の部分に書かれたものです。
kyohooonomap2.gif
「享保年中
衣ヶ浦大野古図 一枚
嘉永七甲寅仲夏求之
石井善八郎 控」
と書かれています。
味噌たまりを製造していた三河屋の大番頭・石井善八郎が嘉永7年(1854)5月に古物商から購入したものです。
享保の時代は1716~1735年。購入時の嘉永7年より100年以上前の地図ですので骨董品として購入したものですが、高く売りつけたい古物商の言うことですから、そこまで古いかどうかは疑問だそうです。

<参考>
嘉永七甲寅(かえいしちねんきのえとら):江戸時代は年号と干支を一緒に書いていました。
仲夏求之 (ちゅうかにこれをもとむ):5月に購入の意。季・仲・孟に夏を付けると四月・五月・六月となる。
控:所有の意。

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大野の「大政」を追え! 15

仮説・次郎長と大政との出会い  5

「久しぶりだな 久六」
「これは次郎長の旦那。以前はお世話になりやした」
2年前久六は博打で大負けをくらう。化粧回しも質に入れたため、明日の土俵にも立てないと困っていたところを次郎長がポンと金を貸してやったのだ。
「相撲取りは博打にのめり込むんじゃねえとあれほど言ったのに。また賭場で遭うとはな」
「いや、わかってるんすが、借りたお金を一日でも早くお返ししようと、ついつい・・・」
「よく言うぜ。それに今日の相撲は何だ。隣にいるその若造にやられやがって」
「見てたんですか。いや実はね。こいつのオッカアの具合が悪くてね。高い薬が欲しくて、しゃかりきになってきたんで。つい仏心が出て、詰めが甘くなってしまいました。」
「言い訳は立派な奴だぜ。おい、若造なぜ賭場にきた?」
「・・・」
「どうせ久六に誘われて、博打で薬代を稼ごうと思ったんだろ。だが、そんなに甘くねえぜ。痛い目遭わないうちに帰んな」
「・・・」熊蔵は返事をしない。
「けっ」

その晩、次郎長一行は30両余りの驚く程の大勝ちをする。一方、久六と熊蔵は共に大負けを喫した。
賭場から宿に向かう途中、武一はまだ納得いかない様子で
「なあ次郎長、なぜ俺たちは勝てたんだ?」
「運がよかったんでさあ」
「そうじゃないだろ。お前は事前に俺との取り決めをしていた。はじめのうちは自由に賭けていい、但し、俺たち3人の内の二番目以内には張ってくれと。そして、合図を出したらお前と同じ目で大金を張ってくれと。そしてお前は最後の三番前で合図をだした。儲けの殆どは残りの三番だ。少なくともお前は残り三番は出る目がわかっていた。なぜわかった。教えろ」
次郎長はふと横の路地を見ると、熊蔵が一人トボトボと歩いているのが見えた。
「仕方ありやせん。武一さんだから特別に教えやす。鶴吉、説明してやんな。俺はあそこにいる若造をちょっくら説教してやりやす。どうぞ、先に宿へ行ってください。いや、まだ夜は更けちゃいねえ。宿に戻る前に、どこへでも行って大野の夜を楽しんでください。鶴吉頼んだぞ」
次郎長は一人横の路地を曲がり、熊蔵に近寄る。
「おい、熊蔵とやら。言わんこっちゃないだろ。オッカサンの薬代どうする気だ」
「・・・」
「これ持っていけ、早く薬買ってやんな」次郎長は小判を差し出す。
「見ず知らずの人からこんな大金受け取る訳にはいきません」
「これはお前にやるんじゃねえ。お凛さんにやるんだ。早く良くなってもらってお凛さんの三味線が聴きたいんだよ」
「薬代は自分がなんとかします」
「どうやって買うんだい?金策があるのかい」
「久六さんが明日は必ず勝てる。今日はたまたま運がなかったと」
「ばかやろ、まだ言ってやがる。おい、こいつを振ってみろ」
次郎長は自分の懐からサイコロを二つを取り出し、熊蔵に手渡す。
熊蔵は側にあった樽の上に言われた通り振ってみる。
サイコロの目は両方とも「一」。いわゆるピンゾロ。
「何遍も振ってみろ」
熊蔵が何遍降ってもサイコロの目は、ピンゾロ。イカサマサイだ。
「いいか、賭場なんてのはイカサマだらけだ。そして馬鹿な客をカモにして賭場は儲けようとする。確かに久六は最初のうちは勝っていた。しかし、後半全く勝てなくなった。それはお前らは賭場にカモにされたからだ。なぜカモにされたかわかるか」
熊蔵はハッとした。あまりに久六が勝つので自分は久六の賭けた目を真似るようにした。その時からだ。
「わかったようだな。いいか、久六は口先だけの性根の腐った間抜け野郎だ。どうせ俺が貸した金も返す気もなきゃ、恩義にも感じちゃいねえ。おめえもあんな馬鹿の言う事を聞いてたら、一生薬は買えねえぞ」
「・・・」
「悪いことは言わねえ。この金で早く薬を買ってやんな」
「すいません。お借りします」
「ところで、おめえの父親は廻船問屋の旦那なんだってな。俺の産みの父親は大野の廻船問屋をよく知っててな。ひょっとしておめえの父親は原田喜左衛門さんかい?」
「いえ、洲岬屋の九郎右衛門と言います」
「そうかい。失礼した。何となくおめえは喜左衛門さんに似てるような気がしてな。俺の眼力もまだまだだな」

一方、武一と鶴吉。
「てことは,次郎長は出る目がわかっていたのではなく、カモられた奴らが賭けてた目の反対を賭けてただけか」
「そういうことになります。念のため客の中にいる賭場のサクラも見つけ、本当にカモかどうか確認とりますがね」
「それと、俺が俺たち3人の内で一番最後に張ってはいけないということは一体どういう意味だ」
「カモられないためです。カモる相手は大抵大きく賭ける一人客か、同じ目を賭ける連れ客です。その方が賭場はもうかりますから。武一さんには自由に賭けてもらって尚且つ三人とも同じ目を賭けないように、次郎長親分と俺で調整するためでさ」
「なるほど。後半あの相撲取り二人が同じ目をはりだしたのはさすがに俺でもわかったが、イカサマとかサクラはどうやって見抜くんだ」
「そこは、次郎長親分の眼力でさあ。武一さんの剣術の腕と同様なかなか真似のできるものじゃござんせん」
「そうか、これからは次郎長みたいに博打で儲けようとしたが無理な話か。ハハハ」
「それにしても・・・」
「ん?」
「今日は派手に勝ちすぎですよ。いつもはもう少し目立たないようにやるんですが・・・。ひょとして明日は潮湯治も芸者遊びもいけないかもしれやせん。そして武一さんの力が必要になるかも」
「どういうことだ?」
「ささ、次郎長親分の言う通り、今から遊びに行きやしょう」

東海遊侠伝によると、「弘化3年(1846年)8月上旬、次郎長は、大野湊で博打を打ち、30両余り儲ける。そして、翌日大野のヤクザがその儲けた金を取ろうと喧嘩をする羽目に。次郎長一人に対し、相手は多勢。だが、喧嘩は次郎長が勝った」とのこと。
しかし、本当に多勢相手に次郎長一人だけで勝てるのだろうか。
そこに、剣術の達人・吉良の小川武一がいれば容易な話なのだが。
(つづく)

吉田拓郎「落陽」より

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月刊「大野町ばかり行かない」 6号

sakasafuji.jpg

夏休みを利用して、富士山を見に行きました。
早朝、河口湖からみた富士山です。
天候良く、逆さ富士を撮れて満足しました。
自分で言うのもなんですが、描いた絵みたいですね。

私若い頃の趣味は登山。色んな山に登りました。
富士登山は2回いきましたが、2回とも土砂降りの雨で御来光を拝めれなく悔しい思いをしました。
でも今はでぶってしまって、3回目をトライする気にはなれません。
富士は登るものでなく見るものなのでしょう、きっと。
てことで、youtubeにあった富士山も貼っちゃいます。
納涼になりますでしょうか?




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大野の「大政」を追え! 16

仮説・次郎長と大政との出会い  6 (最終回)

お凛が急に危篤に陥ったのは、それから2日後だった。
「熊蔵、私はもう永くないよ」
「なにを言うんだ。おっかさん。もうすぐ医者がくる。薬を買う金もある。しっかりするんだ」
「お前に言いたいことがある。心してお聞き」
「・・・」
「実はね。お前の本当の父親は洲岬屋の九郎右衛門さんじゃないんだよ」
「えっ」あまりに唐突の話に熊蔵は動揺を隠せなかった。
「お前の父親は同じ廻船問屋で十王屋の原田喜左衛門さん。お前が産まれた時どっちの子かわからなかった。けど、大野一の廻船問屋の客を失いたくなかった一心で、ついお前は九郎右衛門さんの子だと言い張っちまった。でもね、お前が大きくなるに連れてわかった。お前、喜左衛門さんの顔そっくりなんだもん。私が永くないのもバチがあたったんだね」
「・・・」原田喜左衛門?どこかで聞いたことがある。そういえば清水次郎長が言っていた名だ。
「お前の本当の名は原田熊蔵。私がいい加減なことを言わなかったら、私は十王屋に嫁にいき、お前は廻船問屋の長男として跡取り息子となっていた。喜左衛門さんから、もし俺の子なら夫婦になろうといわれてたんだ。本当に許しておくれ」
まもなくお凛は息を引き取る。享年33歳。

数日後、九郎右衛門の手でお凛の密葬はおこなわれる。洲岬屋の身内の者にも内緒で。
熊蔵はお凛が息を引き取る前に言ったことを正直に九郎右衛門に話す。
「そんなこたあ、うすうす分かってるよ。それでも、お凛は俺の妾であり、俺はお前の育ての父親であることには間違いない。ただこれからは違う。前にも言ったが・・。」
「はい。これからは自分の道は自分で切り開きます」
「ところでこれからどうする?」
「・・・」
「まあいい。ゆっくり考えな」
「いや、清水にいきます」
「清水?そこでどうする」
「次郎長さんの下にお世話になろうかと思ってます」
「次郎長?数日前、金をたかろうとした佐源次とこの子分達をコテンパンにやっつけたとかいう、あの清水次郎長かい。あいつは任侠者だぞ」
「その出来事はしりませんが、俺、あの人に直接遭いました。そして惚れました。任侠者かもしれませんが、俺はあの人の下で人生を賭けてみたいと思いました。洲岬屋さんは大野一いや尾州一の廻船問屋だ。俺が次郎長さんの下にお世話になることで、洲岬屋さんに迷惑はかけたくありません。だから、俺は今後この大野には一切関わり合いのない者になります。故郷・大野を捨てます。お願いです。清水に行かせて下さい」
「十王屋さんとはどうする?」
「もちろん。会うつもりはありません。十王屋さんには妻子がいます。俺という存在はないほうがいいでしょう」
「わかった。お前の好きにするがいい」
「父上いや九郎右衛門さん、今まで育てていただいて有り難うございます」
「達者でな。今日からは俺たちは赤の他人だ」

熊蔵は二度と大野には戻らないと決心し、清水に向かう。
そして、押しかけるように次郎長の子分になる。
やがて、次郎長の養子となり、山本政五郎と名乗る。
次郎長の一の子分・大政として名を馳せたのは周知の通り。
(終わり)

jirocyo96.jpg大政が大野出身であることを、地元・大野の人は最近まで全く知らなかった。
それを教えてくれたのが、半田在住のルポライター・西まさる氏である。
彼の業績は大野にとって小さくない。
左の書籍は、その西氏の著書。
遺恨状態の次郎長と久六は、後に、半田・乙川で決闘する。
そのことが詳しく書かれている。
当然、大政も登場しています。
必読。
(画面クリックすると、はんだ郷土史研究会さんの書籍コーナーに飛びます)




上條恒彦 「だれかが風の中で 」より

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