歴史とロマンの町 大野町へ行こう!

セントレアのちょっと北「愛知県常滑市大野町」のまちおこしブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

鴨長明が詠んだとされる大野の句を調べる3

文献を洗う

図書館を数ヶ所ハシゴして、「海道記」が記されている文献を数冊、調べました。
その結果、あの大野の句は確認できませんでした。

もう一度、「親鸞聖人の歩かれた道」順正寺前住職 坂田正孝著のあの一節をみてみる。

鎌倉から上洛する場合は、安城、高浜、亀崎、乙川、半田、大野と大野海道を通ったようです。
鴨長明が鎌倉に行くときは、桑名から津島へ舟で、津島からは舟で萱津へ、陸路で鳴海へ、鳴海から干潟を馬で渡り雉鯉鮒(今の知立)に至ったとなっています。帰りは大野海道を通って大野で滞在しています。大野の海岸で「湯あみ」するという和歌を残しています。


私の調べ方が甘いのだろうか?

そして、あの「大野町史」302ページの一節をみる。

海水浴場としての大野の歴史は古い。二条天皇の応保2年に鳥羽法皇の和歌所寄人であった鴨長明が伊勢から此地へ渡り、滞在中、
生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ
と詠じたのを見ると、此地の海水浴場は恐らくそれ以前から認められて居たのであらう。


海道記と方向が違う。

前出の「大野町附近名所古跡案内」昭和11年、愛知県知多郡大野青海山観光協会発行を見てみる。

世界最古海水浴場
(大野町洲岬にあり)
創設は約一千年前と伝う
後鳥羽上皇和歌所寄人 鴨長明は兼ねて京都に於いて大野海水浴の効験卓絶なる事を伝聞し今を去る726年順徳天皇御宇伊勢大廟へ参拝の途路当浜へ光来長く滞在し入浴の記念に左の一首を残し置きたり


大野町史同様、海道記を意識していない。

あの大野の句は、いったい、どこに書かれていたのだろう。
海道記ではないのか?
仮にそこになくても、どこかに書かれていないとおかしい。

そんな時、高橋さんの友人Kさんから
「坂田住職に会わせてあげようか」
と。
「ぜひお願いします」
と私。
(つづく)

スポンサーサイト

PageTop

大野の「大政」を追え! 7

清水へ行く 2

このコーナー、随分、無沙汰しました。
前回(清水へ行く1)から半年以上、間がありますね。
すみません。

梅蔭禅寺に訪れた翌日、身知らぬ電話番号が私の携帯電話を鳴らす。
連絡頂いたのは、田口英爾さん。
歴史作家であり、次郎長博物館の館長を務め、梅蔭禅寺の住職の次男に生まれた方です。
私は、早速の連絡で恐縮しっぱなし。
大政の情報を伺う。
田口さんが過去に大政について書かれた新聞の記事を送ってくれることを約束頂く。
後日送って頂いた記事が、これです。
逆に大政について色々教えて下さいと言われ、またまた恐縮。
いつか直接お会いしたいなと思いました。

話は前後しますが、梅蔭禅寺に行った後は、次郎長生家と末廣に行きました。
(つづく)

jrcden.jpg

~皆様の大政生誕の情報お待ちしております。~

PageTop

大野の「大政」を追え! 8

清水へ行く 3

梅蔭禅寺のあと、次郎長生家・船宿末廣をまわりました。
結果から言うとそこから「大政の出生地」の新しい情報は特に得られませんでした。
それでも、船宿末廣で働いていた女性(Mさん)は、私の問いに親身になって対応して頂き、
その時私が自身の会社の名刺を渡したので、後日、彼女から会社の方にfaxが届きました。
市の観光課の職員に問い合わせたりして色々調べて頂いたとのこと。
そして今後新しい情報が得られればご連絡頂けるとも。
本当に恐縮です。
彼女は、次郎長とガンダムが好きな、とても気立てのいい女性です。
記念に彼女の写真を撮らせて下さいとお願いしましたが恥かしがられて断られちゃいました。
聞いたところ、まだ独身とのこと。
良縁に恵まれることを祈念します。

だけど、相変わらず結論まで到着できないなあ。
ここまで難題だとは当初思ってなかった。
しかし、大政を通して色んな方と出会える。
これはこれで良しとしよう。
(つづく)

jrcseika.jpg
次郎長生家

jrcseika2.jpg
次郎長一家の写真。あれっ?大政と小政の写真が逆になってる。

suehiro.jpg
次郎長の妻お蝶が経営してた舟宿末廣

suehirooomasa
末廣には次郎長に関係する人の写真が・・・勿論大政もあります。

suehrooomasa2.jpg
大政の紹介。’大野湊(現愛知県常滑市大野町)の廻船問屋に生まれる。’と書いてほしい。

~皆様の大政生誕の情報お待ちしております。~

PageTop

常滑が映画のロケ地に使われた!の話

’あの映画「20世紀少年」の中に、常滑がロケ地に使われた!’て話題、
今年の夏頃から、いろんなブログや掲示板で賑ってましたね。
地元でも結構耳にしました。個人的にも興味あります。
しかし、当ブログはそういうメジャーな話題は取り扱いません。


実は、その「20世紀少年」よりずっと前にも、常滑がロケ地に使われた映画がありました。
しかも長期ロケが敢行され、「20世紀・・・」よりも、ふんだんに常滑が映されているそうです。
松竹映画で、監督はあの「男はつらいよ」シリーズで有名な山田洋次。
御存知ですか?
その映画の名は、「喜劇・一発大必勝」

hissyo.jpg爆笑超大作!不死身のゴリラと正義の純情男が大激突 
「男はつらいよ」でおなじみの山田洋次監督がハナ肇、谷啓、倍賞千恵子を、ポパイ映画に登場する悪漢ブルート、チビの正義感ポパイ、そして美女オリーブに、それぞれを見たてた痛快爆笑コメディ。
ボルネオ帰りの大男・御大が、気弱で無気力な連中が住んでいる長屋に転り込んできたからたまらない――。この御大、とんでもない酒乱で大暴れ。翌朝、長屋の連中がそろって腹痛を起こし、さてはボルネオのコレラか、とまたもや一騒動、やっとのことで御大を追い出したと思ったら旅行先で再会。
結局長屋に居座ってしまった。そんな御大の傍若無人な振舞いにガマンならぬと、どなり込んだのは、長屋のマドンナ・つる代だった。
 つる代をめぐって展開する奇想天外な物語りと、そして男同志の友情を描くこの作品。原作は藤原審爾「三文大将」。舞台となる美しい海辺の町は知多半島の長期ロケ。
山田洋次監督の会心の人情喜劇。1969年作品。


ていう映画です。
私全く知りませんでした。(生きてたけど・・)
「20世紀少年」の中で主人公ケンヂが「よげんの書」作って遊んでいたのは1969年。
くしくもその年に常滑をロケ地に作られたこの作品。
何か因縁めいたものを・・・んー別に感じませんが、
興味のある方はぜひご覧ください。

PageTop

鴨長明が詠んだとされる大野の句を調べる4

見えてきた、方向性

先日、「親鸞聖人の歩かれた道」を書かれた順正寺の坂田前住職にお会いしました。
そして、開口一番、
「海道記には記されていないです」と。
そう仰って頂き、私は内心ホッとしました。
もし作者不詳の海道記なら、鴨長明は大野に来なかったことになるし、
今まで信じられたものの文献自体の信憑性に疑問符がついてしまいます。

また、今回、住職のおかげで、親鸞聖人が歩かれた大野街道とほ黒鍬街道でないということを知り、大きな成果でした。いずれその件も詳しく知りたいと思いました。
住職ありがとうございました。

ここで再び、「大野町史」(昭和4年発行)302ページの一節。
実は年代にかなり問題があります。

海水浴場としての大野の歴史は古い。二条天皇の応保2年に鳥羽法皇の和歌所寄人であった鴨長明が伊勢から此地へ渡り、滞在中、
生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ
と詠じたのを見ると、此地の海水浴場は恐らくそれ以前から認められて居たのであらう。


鳥羽法皇の生存期間は1103年~1156年なのに、応保2年は1162年、鳥羽法皇の没後になりますので明らかにおかしいです。

続いて、「大野町附近名所古跡案内」愛知県知多郡大野青海山観光協会(昭和11年発行) 
世界最古海水浴場(大野町洲岬にあり)創設は約一千年前と伝う
後鳥羽上皇和歌所寄人 鴨長明は兼ねて京都に於いて大野海水浴の効験卓絶なる事を伝聞し
今を去る726年順徳天皇御宇伊勢大廟へ参拝の途路当浜へ光来長く滞在し
入浴の記念に左の一首を残し置きたり

昭和11年(1936年)から726年前は、1210年(承元4年)。後鳥羽上皇の生存期間は1180年~1239年。順徳天皇の生存期間は1197年~1242年。順徳天皇が即位し、後鳥羽上皇が院政をしいたのがまさに1210年(承元4年)です。よってこの文面の時代考証はあっています。
どうやらこの文献が正しいようですね。

1210年(承元4年)、順徳天皇の即位により伊勢神宮参拝をおこなった時、同行した後鳥羽上皇和歌所寄人 鴨長明は参拝後大野に寄り、汐湯治をし、長らく滞在し、あの句を詠んだ。

まずこれで間違いないと私は思います。しかし、その証拠の文献を私は見たい。

(つづく)

PageTop

you tube でみつけた 大野まつり

you tube で大野まつりの動画をみつけました。
ちんとろ祭りと書かれていますが、勿論そういう名称ではありません。
ちんとろ祭りとは半田市上半田地区の祭礼の名称ですね。
でもネット上に大野まつりを紹介いただいて、ありがたく思います。



PageTop

7000系パノラマカー、引退!

時代の流れですかね。
子供の頃の思い出の電車「7000系パノラマカー」がついに引退。
「どけよ、どけよ」のミュージックホーンが忘れられません。
12月26日、常滑線には多くのカメラマンがシャッターを切っていました。


PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。