歴史とロマンの町 大野町へ行こう!

セントレアのちょっと北「愛知県常滑市大野町」のまちおこしブログ

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高野山の「お江の墓」

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知人に誘われて、11/10~11高野山に行ってきました。
数多くある墓碑の中に、小江(大野城主佐治与九郎の妻)の墓もあります。
6.6mの高さは、高野山の石塔の中では一番高いそうです。

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車で5時間かかり、行くのにたいへんでしたが、
ちょうど紅葉の季節の上、とっても良い所でよかったです。
今度は新緑の季節に行きたいなあ。

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大野の「大政」を追え! 1

”大政は、大野の廻船問屋の長男に生れ、実名は原田熊蔵。”

以前、このブログで、あの清水次郎長の子分「大政」が大野出身であることを紹介しました。
大政こと、原田熊蔵が長男として生まれた「大野の廻船問屋」とはどこの廻船問屋なのか?
実は、ある人の出会いが元で、今このことの真相を追ってます。
しかし、思いのほか困難を要し、なかなか結論が見出せません。
このブログを通して、多くの皆様の情報も得たいと思い、記事を書きます。
どんな小さな事でも構いませんので、皆様からの大野の「大政」の情報、お待ちしています。
大政

ある人の出会いは今年の9月。丁度2ヶ月前。
知り合いの某市議会議員の人から
「客人が来てる。大野の歴史について訊きたいからすぐ来て!」
言われるままに、行くとその「ある人」は居ました。
ある人とは半田在住のルポライターのNさん。
特に、陽の目に当らない任侠について執筆されてるとのこと。
「まちおこしに”大政生誕の地”の石碑を大野町に造りませんか?」
「えっ?」
私は彼の発言に驚きました。
(つづく)

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田中潔子絵画展inはっぴい広場

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「田中潔子絵画展」
入場無料
12月まで(9:30~16:30/土日休み)
はっぴい広場(大野町7-65・0569-42-4801)

はっぴい広場

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第9回古今散策写真展inきょう屋

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「第9回古今散策写真展」
入場無料
12月5日まで(10:00~16:00/月火休み)
大野町きょう屋(大野町6-56・0569-42-1301)

大野町きょう屋

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大野の「大政」を追え! 2

「大政生誕の地の石碑」を大野に建てよう!

Nさんは半田の郷土史に大変お詳しく、地元の人でもよく知らないことを調べては、結果として観光客を増やすことができたという実績を持つ方です。
確かにメジャーな「大政」の生誕の地の石碑を建てれば、観光名所の一つになるでしょう。
清水市の次郎長親分の生家の所にも石碑は建っていて観光名所になっています。
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大野にも、「呼吸千里の碑」と「芭蕉の句碑」という歴史ある石碑はありますが、文字が全く読めないほど老朽化していて、現在、観光的意味合いをあまり成し得ていません。
Nさんは、次郎長が知多半島に来た時のことを調べていて、次郎長が大野の賭場で大儲けしたことや、大野で行った相撲興行で次郎長と大政が知り合ったことなど教えてくれました。
しかし、それがどこなのか、大政の生れた廻船問屋はどこなのか未だ判らず、現在調査中とのこと。
私は彼に協力することにしました。
早速、その場で電話帳で調べる。大野に原田はない。
ゼンリン地図でも調べてみる。やはり原田の姓の家はない。
引越しちゃったのかな?
この日から、私の大政大捜査が始まりました。

~皆様の大政生誕の情報お待ちしております。~

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江戸時代の大野の町が詳しく描かれた書籍

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『「膝栗毛」文芸と尾張藩社会』(編者岸野俊彦 発行清文堂出版株式会社)のなかに、1843年(天保14年)成立の「郷中知多栗毛」という作品が紹介されてます。
弥次・喜多が名古屋市中を見物したあと、熱田から湯治舟に乗って大野に向かいます。そして、汐湯治したり、大野の町を色々観光するという内容です。
その当時実在した大野の観光名所や名物・商店が色々紹介されている、大変貴重な資料です。
半田や名古屋等の図書館にあります。ぜひ御一読を。

この情報は名古屋のフランタさんから頂きました。ありがとうございます。

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大野の「大政」を追え! 3

追跡!追跡!追跡!

ネットや色んな書物を調べたが、「大野湊の廻船問屋の長男・原田熊蔵」以上のことは出てこない。
後で大野に二軒原田姓の方がいらっしゃることがわかったが、引っ越してこられた方で関係ない。
大野の廻船問屋は中村権右衛門が有名だが、原田という廻船問屋は大野の資料にはない。
大野の歴史に詳しい人に何人か伺っても、誰一人知らない。
知らないどころか、全員が驚いた表情を示す。
次郎長の子分の中に「尾張大野の鶴吉」という大野出身者がもう一人います。
その子孫の方なら、大政に関する何らかの情報をもっていると思い、伺ったが、やはり同様。
本当に大政は大野出身だろうか?
知り合いのTさんに江戸時代後期の大野のゼンリンみたいな地図を見せて頂く。
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当り前だが原田熊蔵の名はない。
待てよ。この時代だから、殆どの人が苗字がない。
大政は1831年生まれの平民。
原田姓は1968年の明治以降につけられたんだ!
若い頃勘当された身だから、大野の人は、原田熊蔵=大政を知らない。
追跡は続く。
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清水次郎長一家28人衆の写真。後列左4人目が大政。

~皆様の大政生誕の情報お待ちしております。~

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「スターダスト・ファンタジー・ちた」2007

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名鉄常滑線朝倉駅周辺のイルミネーションスポットは一見の価値あり。
白いイルミ電球を満天の夜空の「スターダスト」に見立て、感動と夢を演出しています。

開催期間 2007.11.12(月)~2008.01.13(日)
開催時間 17:00~23:00

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「次郎長と久六―乙川の決闘」

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昔、清水次郎長と半田の保下田の久六が半田市の乙川で決闘した話です。
大野や常滑のことも書かれています。
興味ある方はぜひ読んでみてください。

西 まさる・著 定価/1,575円 体裁/四六版・ソフトカバー・180頁 発行/新葉館出版

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廻船総庄屋 中村権右衛門

江戸時代、大野の中村権右衛門は、尾張藩から伊勢湾東方の船舶の管理者として廻船総庄屋を命じられていました。
直轄範囲は、熱田の東の海岸から知多半島の全海岸と島々と、ほぼ尾張藩全域。
廻船総庄屋の仕事は、戦時においては、軍用金の調達や主水等の召集。
1793年(寛政5年)藩が知多郡全域に異国船漂流に関して厳重警備を行なった時、中村家は村々を駆け巡り、主水を寄せ集める任務を果しています。
平時においては、管内における船舶の増減調査と届け出された新造船の脚肩打ち(焼印打ちのこと)。
当時の海運は非常に盛んで、1691年(元禄4年)の調査では民有の船舶は2250隻もありました。
知多郡は特に江戸への廻船は盛んで、大野だけでも江戸廻船は63隻もあり。後に、奥州廻船・大阪廻船も始められたそうです。
中村家は、代々中村権右衛門と名乗り、十代にわたって廻船総庄屋の重責を務めました。
中村権右衛門の屋敷は、現在の大野橋北の火の見やぐら附近にありました。

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