
西之口・西用寺の堀田住職より頂きました。
大野の石井善八邸からお借りしカラーコピーしたもの。
大きさはA0サイズくらいあります。
当ブログに何回も紹介しているゼンリンのような江戸時代の大野地図は、
この原図を元に、住職が20年位前に現代の文字に書き直したものです。
下の文字は、この地図を八つ折にした裏の部分に書かれたものです。

「享保年中
衣ヶ浦大野古図 一枚
嘉永七甲寅仲夏求之
石井善八郎 控」
と書かれています。
味噌たまりを製造していた三河屋の大番頭・石井善八郎が嘉永7年(1854)5月に古物商から購入したものです。
享保の時代は1716~1735年。購入時の嘉永7年より100年以上前の地図ですので骨董品として購入したものですが、高く売りつけたい古物商の言うことですから、そこまで古いかどうかは疑問だそうです。
<参考>
嘉永七甲寅(かえいしちねんきのえとら):江戸時代は年号と干支を一緒に書いていました。
仲夏求之 (ちゅうかにこれをもとむ):5月に購入の意。季・仲・孟に夏を付けると四月・五月・六月となる。
控:所有の意。

今はありませんが、以前は大草(大野の北隣・知多市)にも山車がありました。
津島天王祭にでる車楽船の宵祭の飾り付けと同じ形態で大変珍しい山車です。
大野権現町の「権丸」のように、巻藁提灯がついていますね。
大草の祭りは夏の暑い頃に行なわれたそうです。
この写真は高橋さんの記憶では昭和30年頃じゃないかとのこと。
とても貴重な写真です。

これ、猥褻画像じゃありません。
昔はよく、大野海水浴場に、伊勢志摩から海女さんが観光PRに来られたそうです。
その時の写真です。
私、数年前伊勢志摩へ行って海女さんのデモンストレーション見た時は
ちゃんと上半身も身を纏っていましたけど、昔はそうじゃなかったみたいですね。
江戸時代に描かれた『尾張名所図会』の中の潮湯治をしている女性や
明治時代の頃の女相撲の写真も平気でおっぱい丸出しだったし、
昔は今より性が開放的だったのでしょうか?

大野海水浴場は、「世界最古の海水浴場」とも呼ばれる古い歴史を持つ。
1881(明治 14)年、. 愛知県病院長だった後藤新平がこの地を訪れて現地調査を行い、
日本最初の海水浴啓蒙書とい.われる『海水功用論』を著した。
これをきっかけに加温海水浴場など設備も整えられ、旅館も多数建設された。
いわば、後藤新平は大野海水浴場の功労者だ。
上の写真は、大正9年大野町役場で撮られた貴重な写真。
前列中央の白い服が、当時内務大臣だった後藤新平です。
周りは当時の大野の有力者達。
前列向かって左から二人目は大庄屋・平野助三郎。
それ以外の人の名ははわかりません
御存知の方、御一報を。










